<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?>
<rss version="2.0"
	xmlns:blogChannel="http://backend.userland.com/blogChannelModule"
	xmlns:content="http://purl.org/rss/1.0/modules/content/"
	xmlns:wfw="http://wellformedweb.org/CommentAPI/"
	xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/"
	xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom"
	xmlns:sy="http://purl.org/rss/1.0/modules/syndication/"
	xmlns:slash="http://purl.org/rss/1.0/modules/slash/"
	xmlns:xhtml="http://www.w3.org/1999/xhtml"
>

<channel>
<title>【ゆかり・観光のスポット】 明治体感まつやま博 『坂の上の雲』のまち松山</title>
<link>http://matsuyama-haku.info/</link>
<description>明治を体感できる、まつやま博。『坂の上の雲』のまち松山。明治の昔にタイムスリップして、当時の足跡を追ってみませんか。</description>
<language>ja</language>
<pubDate>Mon, 30 Nov 2009 10:46:59 +0900</pubDate>

<item><title>松山城</title><link>http://matsuyama-haku.info/spot/detail/1</link><pubDate>2009-11-24 09:00:00 +0900</pubDate><description><![CDATA[松山藩の初代藩主・加藤嘉明が慶長7年(1602)からおよそ四半世紀をかけて築いた四国最大の平山城。天守の他、門や櫓など国の重要文化財に指定されているものも多い。現在の天守閣は江戸末期の再建で、平成18年には「平成の大改修」を終え、さらに美しくよみがえった。海抜132ｍの勝山山頂にあるその姿は今も昔も変わらぬ松山人の心のふるさと。明治28年、帰郷した子規が詠んだ「春や昔十五万石の城下哉」の句はあまりにも有名。

スペシャルドラマ　ロケ情報
子ども時代の真之、好古、子規が、松山城をバックに記念撮影。成長した3人は、好古の結婚を祝って再び、同じポーズで写真を撮るシーンが、ドラマ冒頭にあらわれます。松山で生まれ育った主人公たちの物語にふさわしく、松山城をシンボリックに登場させています。]]></description></item>
<item><title>坂の上の雲ミュージアム</title><link>http://matsuyama-haku.info/spot/detail/2</link><pubDate>2009-11-24 09:00:00 +0900</pubDate><description><![CDATA[松山市が進める「まち全体を屋根のない博物館（フィールドミュージアム）に」というまちづくりの中心的施設。「司馬遼太郎記念館」の設計も手がけた世界的建築家・安藤忠雄氏の設計によるこの施設は、三角形の回廊が特徴的な地下1階、地上4階の造り。主人公3人の生涯と彼らが生きた明治という時代について、わかりやすく展示されている。壁一面に連なる小説の新聞連載の壁面展示も見もの。一面ガラス張りの外観が城山の緑とその上の空の雲を映し、まさに「坂の上の雲」を感じさせる。]]></description></item>
<item><title>萬翠荘・愚陀佛庵</title><link>http://matsuyama-haku.info/spot/detail/3</link><pubDate>2009-11-24 09:00:00 +0900</pubDate><description><![CDATA[萬翠荘は旧松山藩主・久松定謨（さだこと）が大正11年に別邸として建てた洋館。定謨は小説にも登場し、陸軍士官としての渡仏経験が建築様式に生かされたといわれているが、フランスには後に好古が補佐として渡った経緯もある。その裏手の愚陀佛庵は、松山中学に教師として赴任した夏目漱石の下宿を復元したもので、日清戦争から戻った子規が52日間居候し、連日句会や討論を持ち、漱石に文学的刺激を与えたとされる。愚陀佛とは、漱石の雅号。庵では現在、毎週火曜午後1～3時、愚陀佛句会が開かれており、前日までに電話予約すれば初心者でも参加できる（傍聴も可能）。また、全国の俳句愛好者のための「句会の場」としても提供されている(要電話予約）。]]></description></item>
<item><title>秋山兄弟生誕地</title><link>http://matsuyama-haku.info/spot/detail/4</link><pubDate>2009-11-24 09:00:00 +0900</pubDate><description><![CDATA[江戸時代からこの地にあった秋山家だが、その住居は空襲で消失。その兄弟の生家を、残された写真や子孫の証言で、忠実に復元した。中庭にある好古の馬に乗った銅像とその向かいの真之の胸像が目を引くが、当時の暮らしぶりを再現した座敷や土間、調度品の他、真之と子規の友情の書簡などの展示も興味深い。ボランティアガイドが常駐し、1月の好古生誕祭では餅つき、3月の真之生誕祭ではお茶が振舞われる。]]></description></item>
<item><title>明教館・松山東高校史料館</title><link>http://matsuyama-haku.info/spot/detail/5</link><pubDate>2009-11-24 09:00:00 +0900</pubDate><description><![CDATA[明教館は文政11年(1828)、11代藩主松平定通が藩士の文武両道を目指し、二番町に建てた藩校で、その講堂が昭和12年この場所に移築された。内部は約60畳の広間で、鴨居にかかる同校出身者の肖像画には、主人公3人など郷土の偉人がずらりと並ぶ。隣接の史料館には、子規や真之の成績表や漱石が校長に宛てた欠勤届けなど、様々な貴重な史料が展示されている。最近ではドラマ化もされた小説「がんばっていきまっしょい」の舞台としても知られる。※見学は１週間前までに予約必要。内部撮影不可。]]></description></item>
<item><title>松山中学校跡碑</title><link>http://matsuyama-haku.info/spot/detail/6</link><pubDate>2009-11-24 09:00:00 +0900</pubDate><description><![CDATA[藩校明教館とその後身の松山中学は、現在のＮＴＴ西日本の敷地内にあった。明教館には好古が、中学には子規と真之が通ったが、その後明治28年には夏目漱石が英語教師として赴任、その体験をもとに名作「坊ちゃん」が生まれた事はよく知られている。碑には、漱石が松山を去る時に詠んだ「わかるゝや一鳥啼て雲に入る」の句が刻まれている。]]></description></item>
<item><title>旧北予中学校（松山北高校）</title><link>http://matsuyama-haku.info/spot/detail/7</link><pubDate>2009-11-24 09:00:00 +0900</pubDate><description><![CDATA[秋山好古は晩年、久松定謨（さだこと）伯爵、井上要氏らの要請を受けて帰松し、北予中学校（のちの松山北高校）の第4代校長を務めた。同校の八十周年記念館玄関には好古の胸像がある他、校史資料室には好古直筆の書や陸上部との記念写真など、その人柄が偲ばれる資料が多くある。※一般公開はしていない。学校・地域などの団体の見学には、事前に文書による申請が必要。]]></description></item>
<item><title>ロシア人墓地</title><link>http://matsuyama-haku.info/spot/detail/8</link><pubDate>2009-11-24 09:00:00 +0900</pubDate><description><![CDATA[松山には日露戦争の際、日本で初めてのロシア兵の捕虜収容所が作られた。多い時には4000人を超えた捕虜を松山の人々は、お遍路さんを「お接待」するように手厚くもてなし交流を深めたそうだ。拘束は比較的ゆるやかで道後温泉への入浴なども許されていたらしい。病気などのためこの地で亡くなった捕虜を葬ったのがこの墓地で、異国の地で亡くなった彼らを悼み、今なお市民や地元の中学生たちによって清掃され守られている。]]></description></item>
<item><title>子規堂（正宗寺）</title><link>http://matsuyama-haku.info/spot/detail/9</link><pubDate>2009-11-24 09:00:00 +0900</pubDate><description><![CDATA[正宗寺の境内に復元された少年時代の子規の勉強部屋。小説の中で子規が真之を自宅に招き、「これがあしの書斎じゃ」と紹介し驚かせたのがこの部屋。17歳で上京するまで使っていた部屋には、遺墨や遺品が当時のままに展示され、その頃すでに友人と雑誌を作ったりしていたという子規の文学少年ぶりが偲ばれる。境内には、子規の埋髪塔や内藤鳴雪の髯塔、虚子の筆塚、坊ちゃん列車の客車などがある。]]></description></item>
<item><title>子規誕生地跡</title><link>http://matsuyama-haku.info/spot/detail/10</link><pubDate>2009-11-24 09:00:00 +0900</pubDate><description><![CDATA[子規は慶応3年(1867)、正岡常尚の長男としてここ花園町で生まれたが、翌年には湊町新町に引っ越している。幼名・処之助（ところのすけ）。4～5歳の頃、その名を升（のぼる）と変え、成長してからは常規（つねのり）といった。母・八重は終生息子のことを幼名の「のぼ」と呼んだという。路面電車の走る道の脇に、石碑が立っている。]]></description></item>
<item><title>道後温泉本館</title><link>http://matsuyama-haku.info/spot/detail/11</link><pubDate>2009-11-24 09:00:00 +0900</pubDate><description><![CDATA[聖徳太子や額田王も訪れたと伝わる道後温泉は、3000年の歴史を誇る名湯で、名実ともに観光都市・松山の顔である。道後温泉本館は明治27年(1894)に建てられた三層楼塔屋付きの木造建造物で、国の重要文化財。細部にまで見事な装飾が施され、アニメ映画「千と千尋の神隠し」のモデルになったともいわれる。漱石も松山中学在任中にはよく通い、そのゆかりの「坊っちゃんの間」や皇族専用の「又新殿（ゆうしんでん）」など、見どころも多い。ミシュラン三ツ星を誇り、外国の評価も高い。

スペシャルドラマ　ロケ情報
道後温泉本館では、真之と父・久敬が一緒に入るシーンや、松山中学に赴任してきた漱石の入浴シーンが撮影されました。鉢巻スタイルの久敬・真之父子が湯船に並んで浸かり、父が息子をたしなめるシーンになっています。]]></description></item>
<item><title>松山市立子規記念博物館</title><link>http://matsuyama-haku.info/spot/detail/12</link><pubDate>2009-11-24 09:00:00 +0900</pubDate><description><![CDATA[道後公園の北側にある、子規を紹介する文学系の博物館。子規の生涯とその業績、子規を育んだ松山の文化や文学について知ることができる。音声ガイドの貸出し（200円）やインストラクターの案内もある。正面の外壁には、子規が生涯で作った2万4千句もの俳句の中から名誉館長・天野祐吉氏の選んだ「今月の俳句」の垂れ幕がかかり、目を引く。様々な特別展やイベントが企画され、市民の知的レクリエーションの場となっている。]]></description></item>
<item><title>秋山好古の墓（道後鷺谷墓地）</title><link>http://matsuyama-haku.info/spot/detail/13</link><pubDate>2009-11-24 09:00:00 +0900</pubDate><description><![CDATA[好古の墓は東京・青山墓地と両親の墓のあるここ道後鷺谷にある。軍人として華々しい業績と地位を得ながら、晩年は一校長として郷土・松山に貢献し質素を貫いた好古らしい、こぢんまりとした墓である。この墓地には他に、軍人で作家の桜井忠温、周囲の反対を押し切って道後温泉本館を改築した初代・道後湯之町町長の伊佐庭如矢（いさにわゆきや）の墓もある。]]></description></item>
<item><title>石手寺</title><link>http://matsuyama-haku.info/spot/detail/14</link><pubDate>2009-11-24 09:00:00 +0900</pubDate><description><![CDATA[道後に程近い四国霊場第51番札所。国宝の仁王門や重要文化財の三重塔など、歴史ある伽藍が約2万坪の境内に並ぶ。観光客やお遍路さんはもちろん、地元の人からも「おだいっさん（お大師さん）」と親しまれ、いつも多くの参拝客で賑わっている。「石手寺」の名は弘法大師と衛門三郎の伝説にちなみ、名づけられたもの。一時帰松し愚陀佛庵に滞在した子規も、河東碧梧桐と連れ立って、石手寺吟行に出かけ、「身の上や御鬮（みくじ）を引けば秋の風」（お茶堂横に句碑あり）や「石手寺や何堂彼堂彌勒堂」など多くの句を詠んでいる。なお大師堂は、子規と漱石が寺を訪れた際に楽書きをしたことから「楽書き堂」とも呼ばれている。]]></description></item>
<item><title>秋山好古・真之兄弟銅像</title><link>http://matsuyama-haku.info/spot/detail/15</link><pubDate>2009-11-24 09:00:00 +0900</pubDate><description><![CDATA[兄弟の銅像は昭和の初め、道後公園に建てられたが、戦時中の昭和18年、軍への金属供出のため撤去された。真之像は昭和38年石手寺に再建され、後の昭和43年に今の地に移された。台座の文字「智謀如湧（ちぼうわくがごとし）」は真之の上司だった連合艦隊司令長官・東郷平八郎の筆。その天才的な戦術を東郷がそう讃えた。一方の好古像は昭和45年、真之像の少し下手に再建され、今は兄弟そろって梅津寺の丘から瀬戸内海を見下ろしている。]]></description></item>
<item><title>きせんのりばと子規の句碑</title><link>http://matsuyama-haku.info/spot/detail/16</link><pubDate>2009-11-24 09:00:00 +0900</pubDate><description><![CDATA[三津は藩政時代に松山藩の御船手組（おふなてぐみ＝船奉行所）が置かれたことから、港町として発展してきた。三津港は遠浅だったため、大型の汽船は港に入れず沖に停泊し、はしけ船が乗客を渡していたのだという。子規や秋山兄弟、漱石もみんなここから旅立った。きせんのりばの碑は三津3丁目から現在地に移転されたもの。子規の句碑「十一人一人になりて秋の暮」は、明治28年病気療養のため帰松した子規が再び東京に戻る際、宴を開いてくれた友人たちが帰った後で詠んだもの。一人になった寂しさがよく伝わってくる。]]></description></item>
<item><title>道後公園・湯築城跡</title><link>http://matsuyama-haku.info/spot/detail/17</link><pubDate>2009-11-24 09:00:00 +0900</pubDate><description><![CDATA[中世伊予国の豪族で室町幕府守護・河野氏の居城跡を整備した公園で、資料館や展示室の他、武家屋敷や堀、庭園などが復元整備されている。国指定史跡。ボランティアガイドが常駐し、資料館や武家屋敷を案内してくれる。園内には大型遊具や市内が見渡せる展望台などもあり、観光客や市民の憩いの場として利用されている。桜の名所としても有名で、シーズンには多くの花見客で賑わう。]]></description></item>
<item><title>伊佐爾波神社</title><link>http://matsuyama-haku.info/spot/detail/18</link><pubDate>2009-11-24 09:00:00 +0900</pubDate><description><![CDATA[道後の高台に立つ朱塗りの社殿は、京都の石清水八幡宮、大分の宇佐八幡宮とともに、日本三大八幡造りに並び称され、見ごたえがある。寛文7年(1667)、殿様が流鏑馬成功の御礼にこの八幡造りの社殿に建て替えたといわれ、楼門や本殿などは国の重要文化財。楼門へと続く135段の急な石段は情緒たっぷりで、テレビや映画のロケ地にもよく使われる。]]></description></item>
<item><title>宝厳寺</title><link>http://matsuyama-haku.info/spot/detail/19</link><pubDate>2009-11-24 09:00:00 +0900</pubDate><description><![CDATA[時宗の開祖・一遍上人の生誕地。一遍は鎌倉時代、念仏を広めるために全国を遊行した人で、子規は上人を「伊予出身の第一の豪傑」と評した。この寺にはその遊行の姿を写したという一遍上人立像（木造、国の重要文化財）が安置されている（拝観希望者は事前に寺務所に申込必要。志納）。伊佐爾波神社の駐車場と遊歩道で結ばれた境内には、子規の句碑「色里や十歩はなれて秋の風」や斉藤茂吉の歌碑が立つ。]]></description></item>
<item><title>道後放生園（足湯・坊っちゃんカラクリ時計）</title><link>http://matsuyama-haku.info/spot/detail/20</link><pubDate>2009-11-24 09:00:00 +0900</pubDate><description><![CDATA[道後温泉の表玄関、放生園にある坊っちゃんカラクリ時計は8～22時の毎正時になると2階建から4階建にせり上り、中から小説「坊っちゃん」の登場人物たちなどが出てきて、音楽に合わせて踊り出す。正時近くになると、人形の登場を待ってその周りに人が集まって来る人気のスポット。脇にある足湯は、本館でかつて使われていた湯釜を取り囲んで座れるようになっており、湯に足を浸してのんびりと過ごせる。足湯は他にも11旅館で無料で楽しめる。]]></description></item>
<item><title>セキ美術館</title><link>http://matsuyama-haku.info/spot/detail/21</link><pubDate>2009-11-24 09:00:00 +0900</pubDate><description><![CDATA[道後の閑静な住宅街の中にある私設の美術館。規模は大きくないが、近現代の日本画・洋画の一級品を数多く収蔵しており、季節により4回展示が替えられる。小磯良平、上村松篁、横山大観、加山又造、藤田嗣治などの他、ロダンの大理石の彫刻「ファウナ(森の妖精）」は見逃せない作品の１つ。地域に根ざした美術館として、愛媛にゆかりのある特別企画展もときどき開催されている。]]></description></item>
<item><title>の・ボールミュージアム</title><link>http://matsuyama-haku.info/spot/detail/22</link><pubDate>2009-11-24 09:00:00 +0900</pubDate><description><![CDATA[坊ちゃんスタジアムの中にある野球資料館。「の・ボール」の名は、ベースボールを愛した子規が自身の幼名・升（のぼる）にちなんで、一時「の・ぼーる（野球）」という雅号を名乗ったことに由来する。子規は松山に野球を伝え、「打者」「走者」「直球」「飛球」といった野球用語を翻訳した。その功績が認められ、平成14年には野球殿堂入りも果たしている。館内にはバットを構える等身大の子規像の他、子規以来ずっと野球の盛んな愛媛出身のプロ野球選手の記念品など、プロ、アマ両方の資料約300点が展示されている。]]></description></item>
<item><title>ロープウェー街・大街道・銀天街</title><link>http://matsuyama-haku.info/spot/detail/23</link><pubDate>2009-11-24 09:00:00 +0900</pubDate><description><![CDATA[松山城ロープウェー駅舎のあるロープウェー街は、坂の上の雲ミュージアムと秋山兄弟生誕地の間にある。平成18年に景観整備工事を終え、おしゃれでレトロ感たっぷりに生まれ変わったこの通りは、国土交通省の平成19年「手づくり郷土（ふるさと）賞」を受賞。骨董店や画材店、邦楽器店など個性的な店が軒を連ね、趣を添えている。夜には行灯をかたどった街灯が点り、まるでガス灯のようなその美しさはまた格別。それに続く大街道・銀天街は松山最大のアーケード付繁華街で、大街道は小説の中にも何度も登場する江戸時代からの商業の中心地である。]]></description></item>
<item><title>松山城二之丸史跡庭園</title><link>http://matsuyama-haku.info/spot/detail/24</link><pubDate>2009-11-24 09:00:00 +0900</pubDate><description><![CDATA[城の二之丸は城主とその家族が住んでいた所で、愛媛県庁の裏手、天守閣を見上げる位置にある。発掘調査と古絵図から明らかになった奥御殿の間取りは、その区画に水を張った「流水園」で表現されており、水と緑あふれる気持ちのいい庭園となっている。表御殿跡で見つかった大井戸の遺構は、東西18ｍ、南北13ｍ、深さ9ｍの石の段積みで、当時の姿をそのまま見ることができる。]]></description></item>
<item><title>愛媛県美術館</title><link>http://matsuyama-haku.info/spot/detail/25</link><pubDate>2009-11-24 09:00:00 +0900</pubDate><description><![CDATA[城山のふもと堀之内に、平成10年に開館した。モネやセザンヌ、横山大観、安井曽太郎、岸田劉生など、国内外の著名な画家の作品を数多く収蔵・展示している他、郷土出身の野間仁根（のまひとね、洋画家）、畔地梅太郎（あぜちうめたろう、版画家）、真鍋博（イラストレーター）らの作品も多く、見ごたえがある。企画展も数多く開催され、松山では普段見ることのできない貴重な芸術に触れる機会を提供している。旧館の南館では、様々な創作体験のできる県民アトリエがある。]]></description></item>
<item><title>民芸伊予かすり会館</title><link>http://matsuyama-haku.info/spot/detail/26</link><pubDate>2009-11-24 09:00:00 +0900</pubDate><description><![CDATA[今から約200年前、松山市垣生の鍵谷カナによって生み出された伊予かすりを紹介する施設。実際に伊予かすりを製造している工程を見学できる他、今では珍しい貴重な機（はた）や資料などが見られる。また、藍染体験もできる（ハンカチ1000円～、受付は～15時、所要時間45～90分）。売店では伊予かすりや紬でできた洋服や小物、絞り染めのＴシャツなどが買える。]]></description></item>
<item><title>松山総合公園</title><link>http://matsuyama-haku.info/spot/detail/27</link><pubDate>2009-11-24 09:00:00 +0900</pubDate><description><![CDATA[松山市朝日ヶ丘の丘陵地に平成13年3月に全面オープンした公園で、広く市民の憩いの場となっている。花と緑がいっぱいで、散歩コースにも最適。山頂にあるヨーロッパ風の城を模した展望台からは西に伊予灘、東に松山城を望み、市街を一望することができる。様々なゾーンに分かれ、松山市の市花である椿の様々な品種を集めた「椿園」や山の傾斜を生かして大型遊具が設置された「坊ちゃん夢ランド」などがある。]]></description></item>
<item><title>ミウラート・ヴィレッジ</title><link>http://matsuyama-haku.info/spot/detail/28</link><pubDate>2009-11-24 09:00:00 +0900</pubDate><description><![CDATA[三浦工業グループの創業者・故三浦保氏が、生前に企画、建設した美術館。氏は企業家・技術者としてだけでなく芸術家としての活動でも知られ、特に晩年には「ミウラート」と名づけた陶板画を数多く制作した。この美術館の屋外の広い芝生の庭には、この「ミウラート」や他の作家の陶板画や彫刻が展示されている。建築家・長谷川逸子氏の設計した明るく開放的な建物では、年に数回、企画展も開催される。]]></description></item>
<item><title>太山寺</title><link>http://matsuyama-haku.info/spot/detail/29</link><pubDate>2009-11-24 09:00:00 +0900</pubDate><description><![CDATA[四国霊場第52番札所。創建は古く、用明天皇2年(586)と伝わる。豊後の国の真野長者が高浜沖で嵐に遭い、観音様に祈ったところ、山頂から光が差し、嵐が止んだ。その光をたどると、そこに観音様が祀られたお堂があり、長者はお礼に一夜にして寺を建立したと伝わっている。歴代天皇の崇敬も厚かった。本堂は鎌倉時代建立で、国宝。和様、唐様、天竺様が巧みに組み入れられている。本尊は十一面観音像。仁王門と十一面観音像7躰が国の重要文化財に指定されている。]]></description></item>
<item><title>一草庵</title><link>http://matsuyama-haku.info/spot/detail/30</link><pubDate>2009-11-24 09:00:00 +0900</pubDate><description><![CDATA[自由律の俳人で、漂白を続けた種田山頭火（たねださんとうか）が亡くなるまでの10ヶ月間を過ごした場所。大正15(1926)年、‘解くすべもない惑ひを背負うて行乞流転’の旅に出た山頭火は、昭和14年、友人の好意で御幸寺境内に庵を結び、翌年10月に59歳で亡くなるまでをここで過ごした。縁側の鴨居にかかる「一草庵」の文字は、山頭火の師・荻原井泉水（おぎわらせいせんすい）の揮毫。「おちついて死ねさうな草枯るる」や「濁れる水のなかれつつ澄む」など、たくさんの句碑が立つ。]]></description></item>
<item><title>庚申庵史跡庭園</title><link>http://matsuyama-haku.info/spot/detail/31</link><pubDate>2009-11-24 09:00:00 +0900</pubDate><description><![CDATA[寛政12(1800)年、栗田樗堂（くりたちょどう）が俳諧に専念し、俳友たちと交流するために建てた草庵。樗堂は江戸時代の松山を代表する俳人で、小林一茶とも親交が深く、この庵は建物も庭も、芭蕉の大津の庵に倣って造ったといわれる。200年前から現在に至るまで老朽化しながらも当時の姿を残す貴重な文化財として、平成13～15年に解体・修復工事が行われ、史跡庭園として整備された。園内のノダ藤は樹齢200年を超え、4月下旬の花のシーズンには見事な姿を見せる。]]></description></item>
<item><title>伊丹十三記念館</title><link>http://matsuyama-haku.info/spot/detail/32</link><pubDate>2009-11-24 09:00:00 +0900</pubDate><description><![CDATA[高校時代を松山で過ごした故・伊丹十三氏の業績を集めた記念館。約8万点にものぼる資料を収蔵している。「十三」の名にちなみ、13のコーナーに分けられた常設展示では、俳優、エッセイスト、商業デザイナー、映画監督など様々な多彩な才能を持っていた伊丹氏に触れることができる。ただ眺めるだけでなく触って動かす展示もあり、遊び心もいっぱい。関連のグッズを販売するショップやカフェも併設されている。黒い焼杉板の外壁で囲まれた箱型の建物は建築家・中村好文氏の設計。]]></description></item>


</channel>
</rss>
