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松山には日露戦争の際、日本で初めてのロシア兵の捕虜収容所が作られた。多い時には4000人を超えた捕虜を松山の人々は、お遍路さんを「お接待」するように手厚くもてなし交流を深めたそうだ。拘束は比較的ゆるやかで道後温泉への入浴なども許されていたらしい。病気などのためこの地で亡くなった捕虜を葬ったのがこの墓地で、異国の地で亡くなった彼らを悼み、今なお市民や地元の中学生たちによって清掃され守られている。
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