松山からの旅立ちの港
三津は藩政時代に松山藩の御船手組(おふなてぐみ=船奉行所)が置かれたことから、港町として発展してきた。三津港は遠浅だったため、大型の汽船は港に入れず沖に停泊し、はしけ船が乗客を渡していたのだという。子規や秋山兄弟、漱石もみんなここから旅立った。きせんのりばの碑は三津3丁目から現在地に移転されたもの。子規の句碑「十一人一人になりて秋の暮」は、明治28年病気療養のため帰松した子規が再び東京に戻る際、宴を開いてくれた友人たちが帰った後で詠んだもの。一人になった寂しさがよく伝わってくる。