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子規は慶応3年(1867)、正岡常尚の長男としてここ花園町で生まれたが、翌年には湊町新町に引っ越している。幼名・処之助(ところのすけ)。4~5歳の頃、その名を升(のぼる)と変え、成長してからは常規(つねのり)といった。母・八重は終生息子のことを幼名の「のぼ」と呼んだという。路面電車の走る道の脇に、石碑が立っている。
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